きたはら邦画

午前0時の旧作日本映画案内

斎藤明美『高峰秀子が愛した男』

 

 

松山善三の顔はいい。一人でいる時のなんとも愁のある表情、そして妻・高峰とのツーショット写真には、多くを語らない男がほわっと滲み出てしまう愛情が漂う。

1925年生まれ、シナリオライター(ご本人はそう仰っていられる)、そして映画監督。それよるもっと前に出てしまうのは「高峰秀子の夫」。

映画女優と助監督、百倍の収入格差のある二人の結婚というのは、考えただけでぞくぞくする。だってそれ、もうドラマじゃないですか。そういうテレビドラマをいくつも見てきた気がする。金持ちと貧乏人の恋。自分でも書きたいと思うくらいです。

幼女となり、高峰夫妻(ここでもやはり高峰秀子が先に出る)を見てきた斎藤さんが語る、「あの高峰秀子が愛した男とは」。

中学の頃から高峰ファンだった松山。紆余曲折あって(のところがめっぽう面白い)、松竹の助監督となる。女優とお近づきになるなんて腑抜けたことなど言っていられない。「果たしてこのまま自分は食っていけるのか」そればかりを考える日々だ。そもそもその身分差(!)よ。あるとき駅に向かって歩いていたら、アメ車に乗った高峰が「乗ってきませんか」と声をかけた。十分足らず車内で仕事の話をして、それから口がきけるようになったという。

高峰秀子は孤独な人だ。幼い頃から家族を養うために働き続けた。そんななかで「神様が、可哀そうだと思って」自分に松山を与えてくれたのだ、と高峰はこぼす。

 

よく見かける写真に、高峰家で二人がジャンプしている写真がある。とてもいい。切り抜いてスクラップにしたいくらい好きな写真だ。

「同じ家に天才は二人いらない」と松山は言う。しかし、読んでいて松山の仕事に対する勤勉さや、一つ一つの言葉や処世は、ただならぬものを感じる。天才ではないけど、才人。

高峰を幸福にし、自分も幸福だった。手本にしたい人だと思う。

 

(補記)僕の好きな映画、川島雄三監督の『接吻泥棒』の脚色をされていた! こういうふうにつながるのは嬉しい。