きたはら邦画

午前0時の旧作日本映画案内

高峰秀子『コーちゃんと真夜中のブランデー』

 

「俳優さんの条件として、飽きられないっていうことが必要だって言ったけど、それは個人的なことですよ、ね。それよりも俳優さんとしての一等の条件は、映画からはみ出さないことだと思う。一人で画を描いているんじゃなくって、大勢で作る映画でしょ、その中の一人でしょ、だから、ハミ出ちゃっちゃいけないんですよ。」

(「わたしという人間」より)

 

女優のエッセイですから、映画業界、そして自身の仕事に関して多く語られているのは当たり前だ。そして思い出深いこと、自分の心に決めた信条は、手を替え品を替え語る。語らずにはいられない。

高峰秀子の「俳優」についての語りは、もう俳優をしていない自分にも迫ってくるし、俳優でない仕事をしていたとしても、自分の仕事のしかたを振り返らせる。

 

「忘れえぬ人びと」という副題の通り、このエッセイ集では母、夫、友人たち、多くの女性たちやファンについて、高峰さんが振り返っている。タイトルにある越路吹雪への追悼は、友人として、そして一流の仕事をしてきた故人への、愛が溢れている。母についても決して綺麗事ではなく、斎藤さん曰く「理想」を書いた。

高峰秀子のエッセイを読むと、一流の人々との交流があり、きらびやかだが、きちんとわきまえた姿が、大物たちに愛されてきたんだろうな、と思わせる。

 

戦争のなか生き抜いた女性たちの声を集めた「女はいつも跡形づけをさせられる」は、いま読み返すべきものだと思う。