きたはら邦画

午前0時の旧作日本映画案内

斎藤明美 編『高峰秀子 夫婦の流儀』

 

結婚当時、収入格差のあった高峰秀子松山善三。なぜ「絶対にうまくいかないだろう」と思われていた二人は、うまくいったのか。

写真を交えて紹介するヴィジュアル入門書、こと新潮社のとんぼの本のシリーズで、高峰秀子ものは数冊出ている。

こちらは「夫婦」についての一冊。お二人のエッセイや養女の斎藤明美さんの解説を交えながら、この稀有の夫婦はいかなるものだったのか、が語られている。

おなじみ「土方やってでも養って行きます」発言など、エッセイではおなじみのエピソードが並ぶ。

二人で写っている写真も、なんとも幸福な匂いがしてくるいいものばかりだ。

夫婦とは逸れるのだけれど、松山さんのエッセイで、こんなことが書いてあった。

 

「生理感覚的にいえば、僕の持ってる脈搏と相手の持ってる脈搏が非常にピタッと合うと、お互いに好き合うことになるわけで、芝居でも映画でもそうですが、僕の書いた脚本に合った演技をしてくれる人は、僕にとっては演技のじょうずな人、ということになるんです。」

(「結婚十七年目似た者夫婦になってきました」より)

 

高峰さんは松山さんのシナリオを口述筆記をしていた。ときどき「このせりふはしゃべりにくい」なんて高峰さんは言っていたそうだ。松山さんは納得すれば書き直す。

この文を読んだとき、宮藤官九郎さんのエッセイであったか発言であったかを思い出した。工藤さん曰く、脚本に「ニャー!」と書いたら全力で「ニャー!」と言ってくれるのがいい俳優。長瀬智也はやってくれる。というようなことを言っていた。

ちょっと違うかもしれないが(すみません)、脚本をきちんと読めて、それをそのまま表現できる俳優。かたくるしいことや頭でっかちなことをしない演技は清々しい。

高峰さんは演技に関してかなり熟考していた。だが、独りよがりなことはしなかったのだと思う。