きたはら邦画

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高峰秀子『類型的なものは好きじゃないんですよ』

先日読んだ『高峰秀子が愛した男』から俄然興味をもち、高峰秀子のエッセイをまとめて読んでいる。

というわけで、この写真いいな〜ということで読み出した。

生前本になっていなかったエッセイとインタビュー・聞き書きが本書には収録されている。このての「高峰秀子お蔵出し本」、出版社、そして斎藤明美さんのものすごーい! 努力の賜物である。まとめてくださってありがたい。

高峰秀子とは、なんと変わらない人なのか」と斎藤さんも本の終わりに語っておかられるが、とにかくブレない。そこがいい。

 

「私はこの仕事をしていて、人気というものがいかにはかないか知っているし、自分の仕事の限度というものは分っているんですよ。この仕事をやめちゃったらもうあとには何も残らないということだったら、大変なことだと思う。この仕事をやめても人間としてちゃんとふつうに生きていかれる心構えというものを、いつでも持ちたいと思っていたんですよ。ですから第三者の気持ちになってしょっちゅう批判して、人並み以上に反省していなければならないのです。」

『類型的なものは好きじゃないんですよ』に収録されている「豆スターは幸福だろうか?」より引用。

 

ここの部分に付箋を貼っていたんだけれど、本の最後の斎藤さんもこのくだりをひいておられて、「ああ、なるほどなあ」と思った。こういうところに、斎藤さんは「やられてしまった」のだな。

人のふり見て我がふり直せ、なんて生やさしいものではない。自分自身が「真剣に生きているか」と、いるだけで問いかけてくる人なのだろう。

 

ほかに付箋を貼ったのは、「映画女優四十年」のせりふの覚えかたのところ。俳優時代の自分に読ませたい(笑)。